スポーツ中継の王道とは

スポーツは「やる」より「見る」ほうなので、今年もまだ頑張ってくれている阪神戦の中継や、夏にはアテネ五輪もありスポーツ中継はすごく楽しみにしています。ところがこのスポーツ中継ですが、年々変な方向にねじれていく感じがあり、それがますますひどい方向によりねじれていっているようです。残念ながら私もそろそろ「昔は良かった」と口走る年代に入りつつあり、このねじれているという感覚自体がもう世間からずれているのかもしれませんので、あくまでも個人的な意見としての「こんなスポーツ中継をして欲しい」でお読みください。

日本テレビのCMの合間の中継

言わずと知れた巨人戦中継の老舗です。おそらく民放のプロ野球中継でも老舗でしょうし、全国ネットでこれだけプロ野球を中継してくれている放送局は随一でしょう。読売新聞社と日本テレビが表裏一体なのは常識以前の話ですので日本テレビ自体が巨人びいきのスタンスで中継するのもある程度しかたがないと思っています。

しかたがないのうちには日本テレビが巨人を「永遠に不滅」と盲信しているのも入りますし、巨人の選手であるだけで大スターと無条件にもてはやすのもそうですし、「球界の盟主」とうそぶいているのも含みます。それらの考えが嫌らしいほど放送の端々ににじみ出る、いやあからさまに高言されるのも我慢のうちと考えています。

ただ中継の放送の方法の基本的な考え方がどこか間違っていると感じているのは私だけでしょうか。他の局にもあてはまるのですが、放送方法、放送時間が無茶苦茶です。昔から民放のプロ野球の中継時間はどんなに試合が白熱しておろうが時間が来れば終わります。これを放送局に言わせれば「日本のスポーツ中継の伝統」と称しています。私も慣らされていた部分があり、見れるだけでもありがたいと思っていたのですが、最近中継が増えたサッカーを見て考え直しました。

同じ局の中継と思えないぐらいしっかりしたスポーツ中継なんです。キックオフから試合終了まできちんと中継し、もし延長戦からPK合戦になるようであれば延々と放送を延長して中継します。CMもハーフタイムの間に集中して放送し、試合中に中断してCMなんて不細工なことはしません。まあアナウンサーや解説者の人選にやや問題があるときはありますが、画像自体はきちんとサッカーを中継します。

一方のプロ野球中継は去年「英断」として放送時間の大幅な延長を行いましたが、巨人の不振もあって視聴率が伸びず、今年はまた例年のような「日本のスポーツ中継の伝統」に回帰しています。CMの入れ方のひどさは目を覆うばかりで、さすがに巨人の攻撃中は連続して放送されますが、極端な時には、

「さあ、1点差に詰め寄った阪神。満塁のチャンスで4番の金本を迎えますが・・・ではここでいったんCMです」

と、なんのためらいもなくCMが延々と流されます。昔から見慣れた風景ですが、これほど視聴者を馬鹿にした放送はないと思います。さらに長すぎるCMを詰め込むあまり先頭打者、ひどいときには次の打者まですでに終わっており、下手すると3番目の打者も簡単にアウトになると、ものの数分でチェンジとなりまた延々とCMが流されるのも珍しくありません。

たしかにスポンサーあってのテレビ局ですが、サッカー中継の中継の隙間にCMを流すのに対して、まるでCMの合間にプロ野球中継があるという放送の仕方は視聴者をなめきった態度としか思えません。スポンサーも阪神の攻撃中に中継が中断されて流されるCMなんかには反感以外しか買わないことを少しは理解しているのでしょうか。それとも取るに足らない数の阪神ファン如きに反感をかっても企業イメージとして痛くも痒くもないと考えているのでしょうか。

それと野球中継は攻撃も見所ですが、守備もまた見所なんです。日本テレビは巨人は攻撃のみ放映する価値があり、投手陣を始めとする守備は放送の価値は無いと考えているのでしょうか。去年ぐらいから巨人投手陣はガタガタですから、まさかわざと見せたくないのではないかとかんぐりたいぐらいです。

それとこれは「わざと」だそうなんですが、やたら特定の選手(もちろん巨人)のクローズアップが多用されます。まあ清原がホームランを放ってアップするのは当然でしょうが、金本が決勝打を放っても、打たれた投手か、下手すると堀内監督の憮然とした顔や、ベンチの清原のふて腐れた表情が延々とアップで放映され、いったい試合がどうなっているのか理解するのに苦しむことがしばしばです。

自分の子会社のチームですからひいきするのはしかたがないにしろ、もう少し「野球の試合」を中継する基本姿勢を見直して欲しいと思います。

フジテレビのバラエティの合間の中継

個人的には地上最低のスポーツ中継をする放送局と考えています。ここの放送局は伝統的にバラエティで視聴率を稼ぐ体質があり、スポーツ中継だけではなく選挙速報みたいなものまでバラエティにしなければ番組でないと考えているしか思えません。プロ野球中継だけではなく、他の大きなイベント(オリンピックや世界陸上みたいなもの)も積極的に中継していますが、ここの放送局のスポーツ中継に対する基本姿勢は、

「画像としてのスポーツは退屈である。これだけでは視聴率を取れないので、有名芸能人をたくさん登場させてこれとセットにしてバラエティ番組にしなければ視聴率が上がらない」

と確信しているようです。おかげでスポーツ中継を楽しもうとする人間はおそろしい忍耐を強いられることになります。「野球はよく知りませんが、清原選手は大好きです」程度の頭の軽い芸能人のインタビューが延々と挿入され、これも中継画像を流しながらなら聞かなければ良いぐらいですみますが、ご丁寧にスタジオで延々と愚にもつかないコメントを話す姿が放送されます。やっと中継画像に戻ったら日本テレビよりマシな感じはしていますが、CM地獄が間断なく襲い、ようやくCMが終わればまた、

「スタジオの○○さんどうですか」

と見たくも聞きたくも無いゲストの芸能人のコメントが延々と入ると言う代物です。日本テレビのCMの合間に中継する姿勢に対し、フジテレビは芸能人の馬鹿騒ぎの合間に中継すると言う表現が正しいでしょうか。

それとここの中継はやたらと二元中継なるものが大好きです。例えばヤクルト-阪神と巨人-広島の二元中継みたいな奴で、これも見るのに忍耐を要します。落ち着きの無い人間がリモコンでチャンネルをクルクル変えるようなもので、やっとヤクルトの攻撃をしのぎきって次の回は打順も良いので反撃だと気合を入れていたら、さっさと巨人戦の中継に切り替えられてしまいます。言い切ってしまえば巨人の守備中とCMとスタジオの芸能人のコメントの隙間に阪神戦の中継を挟んでくれているとしか見えません。

二元中継と言うからには2試合分の放映権を買い取っているわけですから、そんな事をせずに1試合分だけ中継して、もうひとつの試合は他の局が中継してくれたほうが見る方にすればよほど助かります。どうもフジテレビの発想として

「巨人戦だけでは視聴率が取れない、関西で人気の高い阪神戦も抱え込んだら、嫌でも見る人間が増えて視聴率があがるだろう」

どこからどう見ても真剣にスポーツ中継しようなんて考えはこの局には無く、どんなできの良い料理(中継)であっても味も見ずに大量の砂糖(芸能人、クイズ、懸賞、二元中継・・・)をぶちこみ、お子様ランチ(バラエティ)にしてしまう最悪の料理人としか思えません。

世界陸上のような中継も選手がかわいそうです。あれほどの大会にに出場しファイナルに残り、ましてやメダル争いをしようなんて選手はそれはものすごいトレーニングを行っています。インタビューなんかでは軽妙なコメントを残す選手も、大会以外の日々は本当に地味で苦しい練習の積み重ねを行い、それを本番一発で成果を発揮すべく、試合前には高ぶる緊張を必死に制御して集中力を高めようとしています。そこに放送クルーを引き連れた芸能人が無神経にノコノコやってきて、どうでも良いようなインタビューをしてコンセントレーションをかき乱している姿は醜悪そのままです。

芸能人が能力を発揮する番組は他にいくらでもあります。いくら人気のある芸能人であってもスポーツ中継にまで顔を出さなくとも普通の番組で見れば十分です。コメンターとかゲストで阿呆面さらすより自分の本業で能力を発揮して注目されればそれで良いじゃありませんか。スポーツ中継では主役はあくまでも選手であり、競技であり、アナウンサーや解説者はあくまでも脇役で主役を守り立てるのみに存在するのをこの局は忘れています。

絶叫入れ込みすぎの朝日放送

夏の甲子園でお馴染みの朝日放送。他のスポーツ中継もしますが、やはりこの局が総力をあげて取り組むのは夏の甲子園です。甲子園だけあって放送画像自体はさすがに公平で見ていて違和感がありません。ただ難点はアナウンサー陣に気合が入りすぎるのが難点です。

たしかに高校野球は白球が織りなす筋書きの無いドラマで、毎年たくさんの人間が注目します。思いがけない大敗、奇跡の勝利、涙の延長戦と見ていても力が入る試合が少なくないのも理解します。ただ中継する人間があそこまで入れ込んでしまうとかえって興醒めになるときが多々あります。

アナウンサーが中継に熱中するあまり、常軌を逸する中継になってしまうことはあのNHKでもあります。有名なのはベルリン五輪の女子平泳ぎ決勝を担当した川西三省アナが、あまりの大熱戦に興奮したあまり絶叫した「前畑、ガンバレ」があります。この中継は歴史に残る名中継とされていますが、戦前の国威発揚という使命感、ライバルのドイツのゲネンゲルが水泳会場全体から声援を受けているシチュエーションなどの特殊な舞台設定で生み出されたアナウンスです。冷静に中継内容を見ればプロのアナウンサーとしてはむしろ失格の部類に入るもので、これが名中継とされるのは非常に特殊な状況下での常識の枠を超えた破格のものであるからなんです。

その辺を朝日のアナウンサーは勘違いしている面があります。どの試合もああまで絶叫興奮されたのでは、見ているほうがたまったものではありません。アナウンサーはあくまでも冷静に中継をし、冷静であるはずのアナウンサーが我を忘れてしまうほどの感動やドラマがあった時に絶叫興奮するから、見ている方、聞いている方が共鳴して感動するのです。間違ってもアナウンサーが絶叫興奮するから視聴者が感動するものでないことをもう一度確認したほうが良いと考えています。

古舘伊知郎のプロレス中継

プロレスがスポーツなのかショーなのかは、古くはロマン・ロランや村松友視のような小説家から現場に長く身を置いた山本小鉄まで様々に論じています。虚実の皮膜一枚の裏表のようなジャンルのもので、通に言わせれば「ショウでもなくスポーツでもなくプロレスである」という言葉がもっともふさわしいものと思います。プロレス論を書き始めるとまた別に新作を書かなくてはいけなくなるので割愛しますが、この中継に革命をもたらした古舘伊知郎の実況中継の意味を考えてみたいと思います。

プロレス中継は古くは力道山の時代に街頭テレビからあります。その後もジャイアント馬場やアンントニオ猪木の2大スターが長い人気を保ちながらくゴールデンタイムで実況中継が行われていました。そのスタイルは従来のスポーツ中継の枠組みの物で、善玉日本人と悪玉外国人の戦い、世界チャンピオンベルトの「真剣」な争奪戦を中継する構図でした。

このスタイルでの中継は力道山時代は良かったかもしれませんが、プロレスファンがプロレスというものをよく理解しだすと違和感のあるものになって行きました。プロレスにも勝負はありますが、ボクシングのようにタイトルマッチ1戦ですべてが決まるものではなく、さらにチャンピオンベルトの意味合いもまたボクシングとはかなり様相が異なることにファンは気がついたのです。

そんな時に登場したのが古舘伊知郎でした。別に選び抜かれて登場したわけではなく、今もあまり変わりはありませんが、スポーツ中継としてはマイナーなプロレス担当として新米アナが使われたに過ぎなかったようです。マイナースポーツの中継だからできたのでしょうが、これまでの実況とはガラリと様相を変えた中継は彼は行いました。

実況内容は有名ですが、これまでの冷静なスポーツ中継ではなく、古舘は極彩色のプロレスというものを中継する方法を編み出したと言えると思います。レスラーや技を熟知しているのは当然ですが、それよりもプロレスという競技の試合としての流れの必然性、すなわち凶器攻撃の意味、場外乱闘や乱入の意味、因縁を怨恨を重ねながらシリーズを盛り上げていく宣伝技法を十分把握した上で、ショウとしての見せる部分と、スポーツとしての格闘技の部分を存分に混ぜ合わせ、新たなキャンバスに存分に塗りたくったのではないかと思います。

ここで比較したいのは朝日放送の絶叫調とどこが違うかです。簡単に言えば素材の違いです。プロレスの競技としての本質が単なるスポーツ、格闘技でなく、ショウとしての要素を多分に含み、そのショウとしての部分を過剰なまでにレスラーたちは演出します。その演出を視聴者にさらに増幅して伝える事が実況としては不可欠であり、その手法として古舘の実況があるといって良いと思います。これを高校野球という素材でやるにはかなりの無理があり、実況素材の本質を朝日放送のアナたちはどこかで履き違えているのではないかと感じています。

安心して視れるNHK

見ていて安心感があるのはなんといってもNHKです。CMで中断されることも無く、中継画像の作り方も日本テレビのようにやたらと選手のクローズアップばかりを多用し、いったいどうなっているのか分からない中継と違い、オーソドックスですが試合の流れがつかみやすいものになっています。それに最近過剰すぎるぐらいに流される画面上の文字情報も、昔に比べると増えてはいますが、民放のように肝心の選手の画像まで見えなくなるほどにはひどくありません。中継時間もそれこそ何があっても最後までするのはさすがで、教育局とリレーになることもありますが、完全中継してくれるのは嬉しい限りです。アナウンサーや解説者も地味ですが公平で、いわゆるプロの中継の見本はNHKだと思います。

もちろんおもしろくないとか、地味だとかの非難の声はありますが、そもそもスポーツ中継の主役は選手であり競技であることの基本をしっかり踏まえて放送してくれるのはやはりこの局です。スポーツは文化であり、文化をしっかり尊重して中継する精神がこの局にはしっかり生き残っています。

個人的な意見かもしれませんが、冷静沈着公平地味なNHK中継でアナウンサーや解説者が取りみだすほど興奮する時は見ているほうもやはり興奮します。スポーツそのものが生み出している感動と言えると思います。「前畑、ガンバレ」ほど古くなくても私が覚えている範囲では、ソウル五輪で鈴木大地が金メダルを取った時、大接戦に興奮した解説者が思わず、

「す、すずきが出ましたよ!」

と上ずった声で唐突に実況に割り込んできたときには会場の雰囲気がよく伝わった気がしました。とくに五輪のような大イベントはNHKの中継が一番安心して素直に中継にのめりこめるような気がします。NHK的な地味さを民放側がなんとかもう少し脚色しようとしてフジテレビ的な放送に行き着いてしまったかもしれませんが、中継の基本、見本はこうだというのを見直して欲しいと思います。

サンテレビは好きです

ここの阪神戦の中継は独特です。決してNHK的公平さはなくて、頭から「阪神を応援してます」と宣言しての中継です。そういう意味では日本テレビの巨人戦中継と似たスタンスがあるのですが、日本テレビはそれでも全国ネットとして建前上「公平である」との嘘を飾っていますが、サンテレビは関西ローカルとして完全に割り切って阪神のための阪神戦中継を行っています。

放映画像の作り方も独特で、「完全中継」の言葉どおり「スコアブックが付けられる放映」に嘘はありません。もちろん民放ですからイニングの間にはCMが入りますが、間違ってもイニング中にはCMは入りません、CMが長引いて先頭打者が見られないことも滅多にありません。投手交代があってもしっかり練習球まで放映しますし、史上最長試合(6時間26分、終了時刻 0時41分)も延々と完全中継(私も最後まで見てました)を行っています。

イニング中にCMが入ったのを見たのは雨で中断した時ぐらいで、その時も30分ぐらいは延々とそれまでの試合経過を振り返ったり、シーズン展開、阪神の現状などで話をつなぎその挙句のCMでした。古い話ですが、岡山県営球場のナイターで照明がなにかの加減で消えた時なんて照明がともり試合が再開されそのイニングが終わるまできっちり放映してました。

もちろん阪神よりの実況中継なんですが、予算の関係もあってか自称「阪神ファン」なる芸能人がギャーギャー騒ぐことも無く、去年のような例外の年を除いてほとんどが優勝争いなんて無縁のところの試合ばかりですから、思いのほかに静かなトーンな中継風景になることが多いです。残念なのは阪神人気が高まるにつれ中継数が減少傾向にあることです。巨人戦ぐらいになるとそのほとんどが、朝日放送や毎日放送、時にはテレビ大阪あたりが買い占めてしまい、その他の試合でも週末のカードの多くが他局の中継になってしまっています。

サンテレビの阪神戦中継の歴史は'69(S.44)から行っています。今でこそ巨人戦以外でも満員なんてそう珍しい風景ではありませんが、昭和40年代、昭和50年代では主催者発表でもなかなか1万人を越えることは少ない時代でした。そのうえ長い低迷時代もあり、そんな阪神がこれほどの人気球団になった理由のひとつにサンテレビの粘り強い中継があったことは間違いありません。それだけの功労局に阪神球団の扱いはやや冷たいと感じるのは私だけでしょうか。阪神ファンの本音は全試合サンテレビが中継して欲しいと願ってやまないところです。

スポーツ中継に望むこと

NHKにくらべて民放はスポンサーなしでは生きていけず、宿命としてCMをどこかに割り込ませる必要があるだけ不利なのは間違いありません。私たち視聴者はCMを見るためにTVを見ているのではなく、番組を見るために仕方なくCMにつきあっています。ただし放送局になると立場が逆で、スポンサーを集めるために番組を作っている側面があります。

人気があって視聴率が高い番組ほど価値が高まり、スポンサーもつきやすいですしCM料も高くなります。このCMを流すために番組があると言う本音があまりに剥き出しになると日本テレビのような中継になります。また番組の価値をより高めようと下手な小細工を重ねるとフジテレビのような中継になります。

じゃあ放送局の本音の前にはあきらめる以外に選択枝は無いのかと言うことになります。そんな事はないと思います。もう一度ぐるっと回って考え直すと、視聴者が見たいと思わない限り視聴率は上がらないのです。ドラマとかバラエティ番組を例に取るとわかりやすいのですが、いくら人気のある芸能人をかき集め、よくできた内容と客観的に評価されても、そんな番組が必ずしも人気を集めるとは限らないのがテレビの怖いところです。視聴者がそんな番組を見たくないと拒絶反応を起せば、あっさり放送局は視聴者の好みのほうにすり寄ってきます。

スポーツ中継はその素材をなんとかして見たいと思っている人間が少なからずいるので、少々の障害があっても殿様商売で見てくれますが、度が過ぎるとやはり見放されます。プロ野球の視聴率が低下傾向にあるのをとらえて野球人気の低下に結び付けていますが、真剣にプロ野球を見たい、または他のスポーツ中継を見たいと渇望している視聴者の希望と相反する番組作りを続けてきたのも原因のひとつになっているのではないかと思っています。

すべての中継が必ずしもNHK的な沈着公平冷静である必要はなく、サンテレビのように割り切って「阪神応援中継です」という姿勢でも別に良いとは考えています。これからBSやケーブルTVの普及で多チャンネル時代が来れば、阪神応援チャンネル、巨人応援チャンネルみたいな割り切りのチャンネルがあっても良いとは思います。

ただし中継は中継画像をみたいものだというのをもう一度考え直して欲しいと思います。一流選手のライブの中継は恐ろしいほどの力があります。マラソンや駅伝は画像自体は単調なものです。ひたすら走る選手、2時間以上にわたってひたすら走る選手を延々と映し出しているだけです。それもそのほとんどは先頭の選手の映像に限られ、たとえ2位であっても距離があればなかなか映されません。それぐらい地味な画面に多くの人が釘付けにされます。

ただしこれがライブであるからです。いくらマラソン好きでもVTR(時代はDVDか)で売り出されてもそうそう買ってまで何回も視ようとは思いません。ライブであるからこそ、ほんの数分後に思わぬドラマやアクシデントがあるかもしれないと思い、ひとコマでも見逃すまいと懸命に画面に見入るのです。実況や解説も競技の興味を適度に掻き立てるもので十分で、そこに過剰な演出や、過剰な思い入れは不要と考えます。ましてや懸賞やクイズや余計な素人の馬鹿騒ぎは論外です。そんなものは他のもっとふさわしい番組が掃いて捨てるほどあるからです。

今夜は東京ドームでの阪神巨人戦、またつらい中継放送に耐えることにしましょうか・・・・・。