夏休みの宿題の定番中の定番に読書感想文があります。誰しも経験があることと思いますが、これがかなりの難物でした。個人的には読書自体は趣味の範疇に入るのでいくらでも読むだけは苦になりませんでしたが、これの感想を書けというのは難行苦行の代物であったのは間違いありません。
それと課題図書なるものがありましたが、これが実におもしろくない。面白くないは言い過ぎにしても、文部省推薦というか、教育委員会お墨付というか、学校の永久保証つきの毒にも薬にもならない本だったような記憶があります。
夏休みも終わりに近づいてくると嫌でも書かないといけなかったのですが、なかなか筆が進まない。今から思えばたった400字詰めの原稿用紙を字で埋めるのに七転八倒しました。とくに小学校の低学年から中学年ぐらいまでは文章を綴ることさえ普段全くしない行為のひとつですから本当に大変でした。小学校も高学年ぐらいになると人間ずるくなってきて「適当」にそれらしいものをでっち上げれるようになりましたが、それでも苦の種であったことには間違いありません。
今から思えば読書感想文というのも「型」というのがありまして、とりあえず何があっても主人公に感動し、共鳴して自分の反省にするという3点を抑えておけば骨格は完成で、後は適当に本文から引用を散りばめて1丁上がりって訳です。
でもどうにも偽善的で嫌ですよね。だいたい課題図書に出てくる主人公はくそ真面目で堅苦しいやつが多く、下手すると普段の友達にするには堪忍して欲しいのも少なからずいました。そんな主人公に無理やり感動したり、生き方を見習ったりするのは許してくれの世界です。
読書感想文は課題図書以外でも自由図書でもかまわないという規定がありました。これなら自分の気に入った本の感想をかけるので、まだ楽そうですが、うっかりしたことは書いてはいけないのです。もちろん選択も大事で、間違っても「なにわのアホぢから」なんて本に感動してはいけないのです。もちろん文章は「型」に従って粛々と原稿用紙の升目を埋める必要があります。
誰が言ったかは忘れましたが、「読書は乱読などはしていけない。正しく系統だって読み進め、1冊ごとに読み終わったらその感動がさめないうちに感想文を書く。これこそ正しい読書法である。」とのたまわれた記憶があります。「本離れ」なんて言葉が忘れそうになるぐらい前から言われていますが、「正しい読書法」なんてものを押し付けられたら誰だって本が嫌いになってしまいます。
本は好きで今でもよく読みますが、私に言わせれば本なんて食事と一緒で、感想なんておもしろい(うまい)かおもしろくない(まずい)の2種しかありません。食事のたびに感想文を書かされていかにおいしかったか書かされたらたまったものではありません。さらにそれが型にはまったほめ言葉ばかりを書かされたのでは食事をするのも嫌になるかもしれません。
料理の鉄人なんて番組がありまして、ゲストが料理の感想を述べることがあるのですが、あれも聞くところでは必ずしも美味しいものばかりではないそうです。そりゃそうでしょう、いきなり食材が出てきて、慣れないキッチンでたった1時間で仕上げるのですから無理も生じます。それでも絶品料理のように評価するのはかなり大変な努力を要したようです。
夏休みも終わりに近づくとなんとなく思い出されます。これってひょっとするとPTSDになるのかしらんと思いながら。