私、キリギリスの味方です

「アリとキリギリス」はイソップ寓話のなかでも定番中の定番と言ってもよく、子供への教訓を垂れるのによく引用されます。ストーリーもあまりにも有名ですが、ごく簡単にまとめると夏の間、汗水流して働くアリを横目でバカにしながら遊びほうけていたキリギリスが冬の訪れとともに食べ物が無くなり行き倒れると言いったお話です。

通常の解釈としてはアリをまじめに働く人、キリギリスを遊び人に例え、とくに子供には「勉強しないで遊んでばかりいると将来苦労するよ」と妙に強い説得力を持って語られます。もちろん子供以外にも引用はいくらでも可能でごく単純に「遊んでないでまじめに働け!」のキャッチフレーズのバックボーンのひとつになっています。
しかしキリギリスはそんなに悪いことをしたのでしょうか、悪者一辺倒にされてしまっているキリギリスの弁明を試みたいと思います。

人間にはひとりひとり天分と言うものがあります。事務仕事が適しているもの、営業販売に長じているもの、料理が上手な人、大工仕事が得意なもの、クルマの運転が好きな人などそれこそ千差万別のものがあります。その中でももっとも得がたい才能のひとつに芸術の才能があります。

絵画や彫刻、小説や演芸などがその分野になりますが、音楽もまた大変きびしい世界です。プロデビューをする歌手はそれこそ何百人単位でいますが、その中で新人賞候補に残る歌手は10人足らずです。さらにその中で5年、10年と生き残っているのはまたわずかな数です。

クラシックも同様でピアノやバイオリンを上手に引ける程度のひとは音大にでもいけばゴロゴロしています。音大の卒業生の中でも一握りのトップクラスのみが交響楽団に入団することができる程度ですし、ご存知かもしれませんが交響楽団員の給与はとっても安いので有名です。世界を股にかけて各地でリサイタルやコンサートを出来る人間なんて、年にひとりもいなくて、それこそ10年、20年にひとりの飛びぬけた才能です。

キリギリスのことを遊びほうけていると見ないで、音楽に命を懸けていたとは見えないでしょうか。たしかに普通の仕事をしている人間から見ると、音楽を仕事をしている人間なんてヤクザなことをしているようにしか見えないでしょう。家では楽器の練習をし演奏会では楽しそうに弾いている姿を見れば、遊んでいると誤解されても不思議はありません。

それに音楽に限らず芸術で大成するような人間は性格的にゆがんでいるものが多数派です。言い換えれば普通の感覚ではとても一般人の常識を超えた創造活動が出来ないからだと考えられます。名も売れた人間なら少々奇矯な行動があっても許容されるのでしょうが、名もない売れない段階では社会的に変人のレッテルを貼られてもしかたがありません。

キリギリスも残念ながらその才能は認められなかったようです。貯えも底をつき、万策尽きてアリに助力を申し入れましたが、芸術にまるで無理解のアリはすげなく門前払いです、なんと冷たいアリなんでしょう。売れない芸術家の末路はそんなものと言えばそんなものでしょうが胸が詰まる思いがします。

キリギリスになかなか共感が得にくいようでしたら、フランダースの犬を思い出してください。ネロは豊かな絵の才能をもちながら誰にも認められず、貧困に打ちひしがれながら死んでいきます。この話を聞いて「かわいそう」と感じない人間は少ないと思います。

ネロだって絵にこだわらずに普通の仕事に精進していたらまた違った人生があったかもしれません。キリギリスも音楽以外の他の仕事なんてまったく興味は無く、音楽のみを純粋に愛した結果があの末路につながったのでないかと考えます。これだけ純粋無垢のキリギリスに怠け者のレッテルを貼りまくるのはちょっと可哀そうだと思いませんか。