「論議は尽くされた!、混合診療の解禁を断行すべき時が来た」と小泉首相は唱えられています。どこで誰がどんな論議が尽くしたたかは、いつもの通り一般国民はもちろんのこと、私たち医療関係者もほとんど何も知らされていません。マスコミなどの情報を総合すると政府、財界は解禁推進、厚生労働省、医師会は解禁反対の構図となっており、私たち医師はどうやら小泉構造改革の抵抗勢力のレッテルを貼られようとしているようです。
先般も医師会から混合医療解禁反対キャンペーンの署名運動の依頼がきまして、医師会作成のチラシ(PDFファイルです)を読みましたが、解禁のデメリットをあまりにも端的に書きすぎてかえって何のことだかよくわからない代物でありました。とは言うものの気にはなるものですので、断片的な情報しか集められませんでしたが、私なりにこの「混合診療の解禁」の是非を書いてみたいと思います。
混合診療とは
私たちが受けている皆保険医療制度は、あまりにも日常的過ぎてどんなものかよく分かっていない方もおられるでしょうからまずその簡単な解説をしておきます。大原則は、
国民全員が公的健康保険(国民健康保険、社会健康保険など)に加入することにより、国民が等しく最善の医療を受けられる体制。
この定義のうちとくに「等しく」の原則を守るため、複雑かつ細部にわたるまで縛り上げられた規則、運用の上の慣例が存在します。「医科点数表の解釈」なる大部の解説書があり、そこにあらゆる治療の制限や方法が記載され、さらに「書いていないがやったらダメ」の暗黙の規則も無数に存在します。
医者はこの規則とにらめっこしながら、かなり窮屈な思いをしながら医療を行っています。こういった規則の中でも今回とくに問題になっているのが混合診療の禁止です。保険医療の大原則の中で、
保険診療と自費診療(自由診療)の混在を認めない
というものがあります。どういう事かというと、「もし保険適用外の自費診療を行ったら、自費診療部分だけではなく、他の保険適用分もすべて自費診療で行ない、一切の保険診療を認めない。」との規則です。
混合診療解禁派の主張
「Aさんは現在の保険診療で認められている治療法では残念ながら治らない。ところが海外で行われている新治療薬を使えば改善の可能性がある。Aさんは新治療薬のでの治療を希望して治療を行ったが、当然これは保険適用外の自費診療となり、新治療薬代30万円だけではなくその他入院、診療費用60万円もすべて保険適用外となり大変重い負担で治療続行をあきらめざるを得なくなった。」
「こういう患者を救うために混合診療の解禁が必要である。」との主張が解禁派の論拠です。医者として重病、難病患者を扱う一線病院に勤めれば勤めるほど切実な思いでもあります。目の前で患者さんが苦しみ、なおかつ助けられる可能性がある治療法があるにもかかわらずそれが出来ないのは、医者として医療制度は呪い殺したくなるほど憎たらしいものになります。
また保険診療のそもそもの矛盾は新しい治療法の発見をまったく考慮していないと言うことです。現在の医療がすべての病気が治療できる完成されたものであるのなら、保険診療規則で定められた治療を守るだけですべてが事足りるのですが、現実は有効な治療法がない病気は幾らでもあり、その治療法を世界中の医者が研究し新たな治療法、治療薬を生み出しているのです。
日本でも当然そうであって、従来の治療法で良くならない病気に対し常に新しい治療を試みています。もちろん公式の承認を経て研究費を支給されて行っている治療もありますが、大きな声では言えませんが、保険規則を捻じ曲げて治療薬を投与したり、病院負担で大きな損害を被りながら行った治療実績から、新しい治療法が確立され保健医療に承認されたものは数え切れないぐらいあり、もっと言えばそういう非合法的な治療から新たな治療法が開発さています。
もちろん公式に認められた研究以外の治療は厳密には非合法的なものになるのですが、非合法的な治療実績の集積が無ければ公式の研究には認められず、新しい治療法の開発、確立には非合法的な研究が必要不可欠であるという摩訶不思議な一面が医療にはあります。断言すれば保険診療規則を厳守して何も新しいことをしないでいたならば、日本の医学の進歩は無かったに違いありません。
混合診療が解禁されればある意味正々堂々と新たな試みが出来るようになり、とくに先端医療の最前線に立つ医者の中には歓迎する者も少なくありません。
医者にとって保険報酬審査は怖いものです。高額な減点査定となると開業医なら経営に響き、勤務医なら院長以下にたっぷりお小言を頂きます。減点理由もいろいろあるのですが、皆様にわかりやすいものなら「適応外」と言うのがあります。「適応外」とは文字通り処方した薬剤がその病気に認可されていない事です。
そんな事は当然したら悪いに決まっていると誰しも思うでしょうが、たとえばのもあります。子供の癌のひとつに肝芽腫と言うのがあります。大人の肝臓癌の子供版と思えば結構です。もちろん難治性で死亡率も高いものです。ある時、この病気で使った薬剤に根こそぎ「適応外」の減点査定が入ったのです。減点の時には申立書なるものを書いて再審査をお願いする時があるのですが、当時研修医の私は完全に途方にくれてしまったのです。
なぜかと言うと肝芽腫には1種類と言えども「適応」の薬剤が存在しないのです。保険診療を厳密に守る限り、検査をして診断がついた時点で事実上すべてが終わってしまいます。そのため「保険で認められている治療法は無いが、放置をすれば死亡は確実であり、・・・」の申し立てをしてなんとか減点を免れ治療が続行できました。こういうのは厳密には非合法的な治療と言えます。
ただしこういう治療成績の積み重ねが集積されて「保険適用」の道筋が開かれるのですから、まだまだ初心であった私は実社会の複雑さに目がくらむような思いをしたのは言うまでもありません。
混合診療反対派の反論
反対派の意見はおおよそ次の通りです。
他にもありますが目に付くのはこれぐらいです。私の手許に来た医師会配布のパンフもそれぐらいのことしか書いてありません。もちろん挙げられている反対理由のひとつ一つはそれなりに根拠があり、それなりに納得できる理由があるのですが、生きるか死ぬかで差し迫っている患者さんの事情と較べると説得力が薄いと感じるのは私だけでしょうか。
むしろまたぞろ医者が自分の利益を擁護するためだけに都合の良い論理を振りかざしているとしか悪くするととられかねません。さらにこれらの反対論拠は解禁時にきちんとルール作りをすれば防止できるのではないかと誰でも考え付くような事柄ばかりで、これだけの論拠では小泉首相の「混合診療は解禁だ!」に反対できるかどうかは大きな疑問を感じます。
混合診療解禁の闇の部分
これだけ書いても私は現時点での、現在の情勢での混合診療解禁には反対です。個人的には特定の難治性の疾患などに限り限定的な解禁は賛成なんですが、どうも小泉首相や財界が唱える混合診療の解禁は純粋に医学の進歩や患者救済のためのものではないような気がするからです。
現在の政治の最大の課題のひとつは膨らみきった財政赤字をどうするかです。財政赤字の解消のためには方法論はふたつでひとつは収入を増やすことで、あからさまに言えば増税です。もうひとつは支出を減らすことで、支出の中でも大きな懸案となっているのが医療関係の支出の問題です。
日本の医療費が高いか安いかは見方により異なる意見はありますが、少なくとも政府はなんとかしてこれ以上医療費を増やさないようにしたいのが本音で、そのために様々な手段を講じています。老人医療自己負担の導入、受診患者自己負担分の増大、薬価および診療報酬の減額などです。介護保険の導入もまた同じ発想線上にあるものといえます。
混合診療の解禁もこの財政再建路線、医療費抑制路線の延長線上から導き出されたものに思えてなりません。生死の差し迫っている患者のための美名に隠れてそろばん勘定を弾いているのは小泉首相ではないでしょうか。医学のためではなく財政のための混合診療解禁で予想される事態に次のようなものがあります。
結局政府が問題とする医療費とは税金および保険料から支出されるものであり、自費負担分がいくら膨れ上がれようが財政的には痛くも痒くもない事になります。財務省の役人は医療費削減のための打ち出の小槌を手に入れたのと同様となります。一方で患者は年々公的健康保険でカバーされる領域が減っていき家計の中の医療費の支出は青天井同様となります。
解禁派のもうひとつの勢力は財界です。財界が混合診療解禁でそろばんを弾いているのは自費診療増大に伴う私的健康保険産業の発生です。とくに生命保険会社は新たな巨大市場が出来上がるのですから、どれだけ政治献金を積み上げても惜しみは無いと考えても不思議はありません。
自費診療枠が増大し、公的保険診療が限定されたものになってしまうと、現在の皆保険制度は形骸化し、病院を受診しても
医者:「公的保険だけの梅コース、混合診療の竹コース、私的保険の松コースのどれで治療しましょうか、命が惜しいのならせめて竹コースぐらいは選んでおくべきだと思いますがね。」患者:「私的保険には加入してないし、お金も余りないので梅コースでお願いします。」
医者:「えっ、私的保険に入っていない!梅コースしか選べない!医者としては全力を尽くしますが、公的保険では有効な治療はほとんど出来ませんから、結果を期待されても困りますよ。」
患者:「そんな〜、助けてくれ、死にたくない。」
周囲の声:「今時まだ公的保険しか入ってない人もいるんやな。私なんかあんな当てにならないものには入らずに、私的保険のスペシャル・ロイヤル・コースにちゃんと入っているのに。そんなん常識やん。ほんまに命知らずの人やな」
なんて会話を聞く日がそう遠くない将来に訪れるかもしれませんし、「命の値段は結局金次第」とささやかれる時代も確実に訪れると考えます。
だから私は財政再建のためだけの理由としか考えられない混合診療解禁には反対します。