義経と頼朝

まるで大河ドラマにあわせたようなテーマでアクセス増加が狙いかと聞かれればまさにその通りです。ただしそれだけではなく、この作品の前にボツになった幻の大作「武士のDNA」をそのまま捨ててしまうのは余りにも惜しいので、そこで調べた事をリサイクルしながらと御理解ください。

義経は数々の伝説に彩られた天才武将。牛若丸時代には五条の橋で弁慶と華麗に戦い、宇治川、一の谷、屋島、壇ノ浦と源平合戦の主戦場であまりにも鮮やかな勝利をあげ、その後は兄頼朝との確執から日本中を逃げ回り、逃げ回る途中でも船弁慶、勧進帳の伝説を残し、奥州衣川で死んだ後も義経ジンギスカン伝説なるトンデモ話がベストセラーになるほどの人気者です。また義経による慣用句に「判官びいき」なる言葉が現在ですら死語となっておらず使われています。

一方の頼朝はその残した仕事の大きさに較べると人気はイマイチです。不評の原因は国民的ヒーローでありアイドルである義経を殺した事に象徴されるように、あまりにも冷徹な政治家であった事が主原因と考えます。さらに義経が華々しい勝利を前線で挙げ続けたの対し、鎌倉でひたすら体制固めに勤しみ、表立っては武将らしい足跡を残していない事も評判が上がらない一因とも考えます。

ただし日本史的に見ると天才武将義経の縦横無尽の活躍と、政治の鬼才頼朝が鎌倉に居座って冷徹な体制固めを行なわなければ、律令政治を打破し、リアリズムによる武家政治の扉はあんなに簡単には開かなかったと考えます。鎌倉時代の意味づけは東アジアの政治体制からするとかなり特異なものであり、義経と頼朝が開いた扉が大げさに言うと日本独特の文化を築く基になったと言えます。

とくに義経については語りつくされた感はありますが、私なりの解釈を加えて時代を変えた二人の足跡を追ってみたいと思います。

もくじ
第一部 天才武将義経
第二部 政治の鬼才頼朝
第三部 あとがきにかえて 〜平家へのレクイエム〜

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