江戸期初期の幕府の財政事情
三代将軍家光 |
幕府の初期の財政は非常に豊かでした。家康は江戸城を築城し、江戸の町を整備し(ほとんどが埋め立て工事)、関が原を戦い、大坂城を攻めていますが、それでも二代秀忠には遺産として190万両を残し、秀忠は家光に250万両を、さらに三代家光は日光東照宮の建立に60万両、30万人の供を連れての上洛を3回も行うなど濫費を行ったにもかかわらず、四代家綱にはさらに莫大な金額を残しています。
家光が残した金額は家綱の統治6年目に振袖火事と呼ばれる大火で江戸城の御金蔵が焼け落ちた時、386万3千両の金銀と44貫の金分銅20個おなじく銀分銅206個があったと記録されていますから、まさに莫大な金額を有していたことになります。
莫大といいましたが、どれぐらいかがもうひとつピンとこない金額です。歴史経済学者も1両の価値が現在の何万円になるかの換算は非常に難しいそうです。単純に現在の米1石と比較するのは無理がありますし、物の値段や人件費の変動、また米自体の貴重さの違いで諸説紛々です。いちおう通説としては1両=20万円というのがあり、ここではこれをもとに換算してみたいと思います。
家光の残した金銀を順に計算していくと、
この額は国家予算の82兆1100億円はともかく神戸市の年間予算の2兆915億円にくらべてもわびしい金額です。ただしこの辺が現在の通貨と換算しにくいところで、元禄時代の男衆の給料が年2両、女中が年1両2分の記録もあり、1両が人足の日当の60日分に当たるという記録があるところから、1両=100万円近い価値もあったとも解釈もできます。一方で初鰹1尾1両とか、芝居小屋の弁当が高給料亭で作られたものが5両もしたなんて記録を見ると、1両=100万円はいくらなんでも高すぎてやっぱり1両=20万円ぐらいが妥当とも思えます。また家綱時代の流通通貨量はおよそ2000万両と推測されており、それを基に考えると天下の財宝の1/4近くを有しているとの見方もできます。
いずれにしても現在とは人件費や物の値段の体系自体がかなり異なり、正確な換算が難しいので1両=20万円をひとつの目安として換算値を参考として随時挿入しておきます。ちなみにこの計算なら千両箱は2億円にあたることになります。